ノンフィクション · 日本語版
意識の建築家
人間を理解し、自分自身を再構築する技術
十一言語・ひとりの作家のアーカイブ
ミルザ・タゼギュル(Mirza Tazegül)・作家・エッセイスト
Mirza Tazegülの書籍、小説、エッセイ、思想文のための、静かで永続的な多言語の出会いの場です。
人は、時代が自分の内に残した痕跡を見つめなければ、自らの進む方向を築くことはできない。
直接販売は行っていません。各書籍の最初の10頁を読み、その下にある公式リンクから詳細の確認と購入ができます。読後のご感想をお寄せいただければ幸いです。

選集
それぞれの作品は、独自の世界、翻訳、文章、確認済みの販売リンクを備えた個別の拠点として息づきます。
日本語の書籍
刊行済みの日本語版ノンフィクション · 日本語版
人間を理解し、自分自身を再構築する技術
十一言語・ひとりの作家のアーカイブ
Düşünce · Kişisel gelişim
İnsanı Tanıma ve Kendini Yeniden İnşa Etme Sanatı
物語
ソーシャルメディアから来た読者は、探している文章に直接たどり着き、そこから関連する文章や作品へ自然に進めます。
作家の机
Mirza Tazegülの小説、物語、エッセイ、思想文は、人間が自分自身、社会、変化する時代と結ぶ関係を、さまざまな語りの形式で追います。
著者への連絡
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イベントと画像
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ソーシャルメディア
プラットフォームは告知と出会いの場です。文章、作品、著者の永続的なアーカイブはこのサイトにあります。選定した投稿はリンクとともに保存されます。
序文
この本は答えではなく、招きです。人間の心と感情と人生を、ただ一枚の処方箋に収めることはできな
いと、私は知っているからです。そして、人は自分のリズムを見つけたとき、混乱のただなかにいても道を
開くことができるということも、私は知っています。『意識の建築家』は、この信念のもとに書かれました。
私たちは、速さが神聖化され、注意が市場に並べられ、騒音が心を包囲する時代に生きています。私
たちは疲れています。しかもこの疲れは、体だけのものではありません。心の、意味の、方向感覚の疲れ
です。思考は増えていくのに、深まってはいきません。
だからこそ、私たちには新しい言葉と、新しい道しるべが必要です。この本は、既製の処方箋を渡すた
めではなく、自分の道を築いていくときに使える羅針盤を差し出すために生まれました。
心理学の科学的な洞察、哲学の時を超えた問い、暮らしの中から生まれた物語、そして実行できる
小さな一歩を、私はひとつに集めました。変化は、大きな跳躍よりも、小さくとも意識的な一歩の積み
重ねから生まれると信じているからです。
頁をめくるうちに、三つの大きな脈が見えてくるでしょう。心を緩やかにする静寂、自分を知る助けとなる
リズムと儀式(リチュアル)、そして人生に意味を加える貢献と遺産です。これらの章のどれひとつも、それ
だけで奇跡を約束するものではありません。けれども、三つが合わさると、新しいまなざしと、より深い呼
吸をもたらし、自分の人生を築いていける方向を示すことができます。
この本で名前と出典を挙げずに語られる人物の物語は、考えを具体的に示すために作られた例示的
な物語であり、特定の実在の人物を描いたものではありません。
この本の実践もまた、次々に積み上げられる義務的な課題ではありません。選ぶ権利、自分に合わせ
て調整する権利、後回しにする権利、飛ばす権利は、どの頁でもあなたのものです。合わない実践を
手放すことは、旅を途中で捨てることではありません。
いつの日か、私たちは皆この舞台から退きます。あとに残るのは、肩書きや財産だけではないでしょう。
自分の人生に加えた意識と、他者の人生に残した足跡です。この本は、その足跡をより意識的に刻む
ための案内として設計されました。
この行を読んでいるあなたは、もはや単なる旅人ではありません。自分の意識と、道と、リズムを築いて
いく建築家です。旅へ、ようこそ。
ミルザ・タゼギュル
序章――人間の新しい在り方:火から画面へ
ある夜を思い描いてみましょう。まだ都市はありません。街灯も、工場も、画面も、暦も、間に合わせな
ければならない時刻もありません。人間は、闇の中で燃える小さな火のまわりに座っています。顔を上げ
れば、広々と開けた空を見渡すことができます。けれども、その広がりの下で、自分が安全だとは感じて
いません。遠くで獣の声が聞こえます。風が向きを変えます。雨が近づくにつれ、土の匂いが重くなって
いきます。
危険は、目に見えます。
飢えが来れば体が語り、寒さが迫れば人は身を寄せる場所を探し、夜が落ちれば恐れがどこから生ま
れるのかを知ります。人間は自分を自然から切り離しては見ていません。自然はいつでも、その人の前
に、まわりに、そして内側にあるからです。生き延びるためには、目と、耳と、記憶と、そばにいる人々を
使わなければなりません。一人では弱いのです。共にいれば、より強いのです。
火は、熱を与えるだけではありません。人々が互いに近づき、顔を見合わせ、体験したことを語り合うこ
とを可能にします。一人が見た危険は別の人の知識に、一人が犯した過ちは共同体の記憶に変わっ
ていきます。人間は、自分が生きているその瞬間だけに限られずにいることを学びます。自分の経験を、
言葉に、しるしに、道具に、習慣に託していくのです。
記憶が、育っていきます。
やがて人間は、動き続ける暮らしの歩みを緩めます。土を踏むだけではなく、それを耕し始めます。種の
待ち時間を、季節の巡りを、水の道を見守ります。一つの場所に長くとどまるようになると、雨風をしのぐ
場は家に、火は炉に、共同体は集落に変わっていきます。安全は増します。けれども安全とともに、守
らなければならないものの数も増えていきます。
収穫が蓄えられます。所有が現れます。土地に境界線が引かれます。誰が何を持っているのか、誰が
どれだけ働いたのか、誰が決めるのかが、重みを持ち始めます。人間は自然に対する自らの脆さを減ら
しながら、自分が築いた秩序の中での自分の位置を考えざるをえなくなります。
壁が、高くなっていきます。
壁の内側に残る者は守られ、外側に残る者はよそ者になります。一本の線が、まず畑を、次に村を、そ
して国を分けます。境界は土地の上にとどまるだけではなく、人間の心の中にも根を下ろします。私たち
と彼ら、内と外、味方と敵が、同じ世界の異なる名前になっていきます。
蓄えられた収穫を守るためには力が、力が続くためには服従が、服従を整えるためには規則が必要に
なります。ある者は土を耕し、ある者は守り、ある者は決めます。人間はより大きな共同体を築くほど、
自分の仕事の結果を、自分の決断の影響を、そして自分と他者との距離を、以前ほど容易には見ら
れなくなっていきます。
秩序が大きくなります。人間が小さくなります。
戦争は、土地を変えるだけではありません。家々の中に恐れを、家族の記憶に喪失を、子どもたちの
言葉に沈黙を残します。ある世代が経験した衝撃は、次の世代が理由を知らないまま抱える不安に
変わることがあります。帰ってきた者は、ときに語りません。待っていた者は、ときに尋ねません。暮らしは
続きます。けれども人間の内側には、言い終えられなかった一文が残ります。
新しい秩序はどれも、安全を約束します。安全のかたちはどれも、別の代償を伴います。人間は襲撃
から身を守るために壁を築き、やがてその壁の影の中で暮らすことに慣れていきます。自分を安全にして
いるものが、いつ自分の動ける範囲を狭めたのかに、いつも気づけるわけではありません。
鎖が、かたちを変えます。
幾世紀が過ぎます。手の労働が、機械のリズムと出会います。生産は速まり、道は延び、市場は大き
くなります。時間は、空を渡る太陽の動きから離れ、時計の中の小さな区切りに収まります。仕事の始
まりを決めるのは朝の光ではなく、工場の笛です。休みの終わりを告げるのは体ではなく、交代の時刻
です。
時計は、もう壁にはありません。
人間の内側にあるのです。
時間を守ること、追いつくこと、より短い時間でより多くを生産することが、新しい秩序の美徳になります。
機械は疲れずに働けるため、人間も自分の疲れを恥じ始めます。体の限界は、生産の前に立ちはだ
かる個人的な欠点のように見られます。人間は労働だけでなく、時間も売ります。けれども、時間のど
れだけが自分に残っているのかを、いつも計算できるわけではありません。
工場は、製品を生産するだけではありません。新しい人間のリズムも生産します。同じ時刻に起き、同
じ道を行き、同じ動作を何度も繰り返す日々が増えていきます。人間は、自分が作っているものの全
体のうち、ごく小さな一部しか見ていません。一つの物が完成します。けれども、それを作った人は、自
分の人生の中で何が完成したのかを知りません。
都市が、大きくなっていきます。
田舎を離れる人は、いくらかの荷物と、少しの希望と、多くの場合、帰る可能性を携えていきます。より
良い仕事、より安全な未来、子どもたちのための別の人生を探しています。都市はその人に、もとの共
同体の狭い価値判断から遠ざかり、別の人々と出会い、自分を築き直す機会を与えます。同じ都市
が、その人をこれまで経験したことのない群衆の中で、見えない存在にしてしまうこともあります。
一棟の集合住宅の中で、何百もの人生が積み重なって暮らしています。同じ階段が使われ、同じ壁
の向こうで眠り、同じエレベーターの中で黙って顔を合わせます。人々はかつてないほど互いに近いので
す。けれども、互いの恐れも、借金も、喜びも、悲しみも知りません。
群衆は増えていきます。親しさは減っていないのかもしれません。けれども、かたちを変えています。古い
連帯の一部が解けていく一方で、新しい連帯はすぐには築かれません。人間は自分が属していた場所
を離れ、たどり着きたい場所には完全には届きません。二つの世界のあいだに、働くことで埋めようと努
める空白が生まれます。
やがて危機が訪れます。お金は価値を失い、職場は閉じ、権力は入れ替わり、通りは張りつめます。
一つの決断が、何百万もの人々の食卓と、家と、未来に触れます。けれども、その決断を下した者と、
その結果を生きる者は、多くの場合、互いを見ることがありません。大きな衝撃がもたらす重荷は、小さ
な家々の中へと分散していきます。
恐れが、家に帰ってきます。
今度は、戸口に猛獣はいません。危険にただ一つの顔はありません。仕事を失う可能性、膨らむ借金、
子どもの将来、戦争の報せ、移住を強いられること、荒々しくなる社会の言葉、そして明日の不確かさ
が、同じ一つの心の中で混ざり合います。人間は何に備えるべきかがわからないとき、絶え間ない備え
の状態の中で生き始めます。
体は、これを忘れません。
肩が上がります。眠りが浅くなります。息苦しくなります。心は、まだ起きていない可能性を、すでに起き
た災厄のように繰り返します。外側の不確かさが、内側で鳴りやまない警報に変わります。危険が消え
去らなくとも、人間がそれを一瞬忘れられる静かな場所が、減っていきます。
まさにこのとき、テクノロジーが、暮らしを楽にするという大きな約束を携えてやってきます。
実際、楽にしてくれます。遠くが近くなり、情報がより速く行き渡り、病はより早く見つかり、道は短くなり、
声は境界を越えます。かつては大きな組織だけが手にできた知識に、一人の人間が数秒でアクセスで
きます。一つの考えが小さな部屋から出て、世界の反対側にまで届きます。
扉が、開いていきます。
けれども、開いた扉のすべてが自由へ通じているわけではありません。テクノロジーは人間の手に新しい
可能性を与える一方で、その人の注意を、測ることのできる価値にも変えていきます。画面にとどまった
時間、目を止めた画像、もう一度見た商品、腹を立てたニュース、気になった人物が、記録されていき
ます。人間が世界を眺めている一方で、世界もその人を眺め始めるのです。
朝、目を開けたとき、まだベッドから起き上がる前に、何百もの人生と出会います。誰かの成功、別の
誰かの休暇、また別の誰かの体、家、収入、考え、怒り、幸福が、同じ小さな画面の上を流れていき
ます。どの画像も、はっきりと命令してくるわけではありません。ただ「あなたも、こうなれたかもしれない」と
いう一つの可能性をささやくだけです。
ささやきで、十分なのです。
人間はもう、自分を隣人や、同僚や、親族とだけ比べているのではないからです。世界でもっとも成功
し、もっとも美しく、もっとも豊かで、もっとも目立つ人々が、いつでも同じ部屋の中にいます。彼らの念
入りに選ばれた瞬間が、あなたの人生の雑然とした現実と並べられるのです。
比較の限界が、消えていきます。
資本主義は、まず労働を、次に時間を、そして注意を、大きな循環の中へ取り込みます。人間が何を
見ているか、何を欲しているか、何を恐れているか、どの点で自分に不足を感じるかが、経済的な価値
に変わります。市場は必要に応えるだけではありません。ときには、必要がどのように感じられるかまで、
かたちづくります。
人間に差し出されるのは、もう商品だけではありません。一つのアイデンティティや、外見、生き方、そし
て満たされるという約束も差し出されます。この電話を買えばもっと創造的に、この服を着ればもっと目
立ち、この講座に参加すればもっと成功し、この方法を実行すればもっと強くなれる、と言われます。
欠落が、流通に乗ります。
しかも競争は、もう職場だけで起きているのではありません。人間は自分をブランドのように語り、人生を
展示できる瞬間に切り分け、自分の仕事を目に見えるものにし、自分の価値を数字で証明することを
強いられます。フォロワー、「いいね」、収入、肩書き、速さ、生産性は、一人の人間の人生についての
部分的な情報であることをやめ、その人の価値の要約のように使われ始めます。
こうして、古い時代の圧力は消え去りません。ただ、より見えにくいかたちになるだけです。かつて外から
来ていた命令が、「もっと働け。もっと速く進め。もっと良く見せろ。取り残されるな。止まるな。」という内
側の声に変わります。
人間が、自分自身の監視人になります。
しばらくすると、本当に望んでいることと、望むべきとされていることが混ざり合います。休んでいると罪悪
感を覚えます。何も生み出さずに過ぎた 1時間は、無駄になったとみなされます。静寂は安らぎではな
く、欠落のように感じられます。人間は失敗だけでなく、十分に成長できないことも恐れ始めます。
新しい人間が生まれたのではありません。
人間の新しい在り方が生まれたのです。
この人間は、過去に生きた人々より弱いわけではありません。より強くなった領域もあります。より長く生
き、より多くの知識に触れ、より広い世界を見ることができ、自分に引かれていた古い境界線のいくつか
を越えることができます。けれども、背負っている重荷の構造が変わったため、自分の力をどこへ向ける
べきかを、いつも知っているわけではありません。
つながっているのに、孤独。
知っているのに、方向がない。
自由なのに、絶えず突き動かされている。
選択肢は増え、決める力は疲れています。見られる機会は増え、見てもらえているという感覚は減って
います。世界には届くのに、自分の内側へ向かう道を失うことがあります。他人の人生を数秒のうちに
眺めながら、自分の人生をどんな尺度で評価すればよいのかがわかりません。
こうした人間が出口を探すのは、当然のことでしょう。
この探求を軽んじることはできません。人間は苦しむとき、意味と、方法と、支えを探します。人生を整
え、心を静め、より良い決断を下し、もう一度始められるようになりたいと願います。一冊の本、一つの
講演、小さな習慣、あるいは正しいときに耳にしたただ一つの言葉が、本当に助けになる瞬間はあるの
です。
ときには、小さな一歩が大切です。
問題は小さな一歩にあるのではありません。問題は、人間の複雑さのすべてが、ただ一つの一歩に還
元されることにあります。長年かけてかたちづくられた恐れはいくつかの前向きな言葉で、過酷な労働条
件はより良い時間管理で、社会的な孤独は朝のルーティンで、意味の喪失はより高い目標で解決で
きる、と言われ始めるのです。
「早く起きよ、目標を書け、前向きに考えよ、成功を思い描け、決して止まるな、自分を信じよ。」といっ
た単純な処方箋が、たちまち増えていきます。これらの中には、特定の人に、特定のときには役立つも
のもあるでしょう。けれども、一つの方法が誰にでも同じ結果をもたらすものとして差し出されるとき、人
間の体、過去、経済的な状況、ケアの負担、人間関係、恐れ、そしてその人が生きている秩序は、見
えなくなります。
処方箋が大きくなります。人間が小さくなります。
さらに悪いことに、方法がうまくいかなかったとき、問いは多くの場合、方法にではなく人間に向けられま
す。「十分に望まなかったのだ。規律が足りなかったのだ。正しく考えなかったのだ。信じる力が弱かった
のだ。」こうして、すでに重荷の下にいる人間は、自分が置かれた行き詰まりの責めまでも、一人で背
負い始めます。
市場は、この切迫を好みます。ゆっくりとしか理解できない傷に、速い解決を売るのはたやすいからです。
人間の欠如感が強く保たれるほど、満たされるという約束を、より多くのかたちで繰り返し差し出すこと
ができます。傷を開いた速さと、傷を閉じると言う商品の包みは、同じ秩序の中に並んで立っているの
です。
これは、どんな案内も無価値だという意味ではありません。あらゆる助言を軽んじることは、人間の変わ
る力を否定することになります。けれども、人間をその行動の総和にすぎないとみなすことも、人間を矮
小化します。人間は、その心と、体と、過去と、人間関係と、生きている社会と、持っている可能性と、
自分ではどうにもできない状況とをあわせて、人間なのです。
これらはすべて、互いにつながっています。
だからこそ、現代人に必要なのは、その人生に新しい命令を付け加えるもう一つの声ではないのかもし
れません。おそらくまず、自分の内側と周囲で語っている声たちを、互いに区別できるようになる必要が
あります。どの欲望が本当に自分のものなのか、どの恐れが過去から残っているのか、どの疲れが個人
的なもので、どれが共有されたものなのかを、見られるようになる必要があるのです。
人間が失ったのは、安らぎだけではないからです。注意の方向、思考の源、意志の限界、不確かさの
前での立ち方、そして自分以外の人生に触れる側面もまた、ぼやけてしまっているのです。
問題は、もっと速く走ることではありません。
どこへ向かっているのかを、見られることです。
人間が最初の火のまわりで感じた恐れと、今日、画面の光の中で生きている不安は、同じものではあ
りません。けれども、どちらもその人に何かを告げています。一方は、外にある危険を示します。もう一方
は、外と内がもはや容易には切り分けられないことを示しているのです。
現代人は、世界に適応しなければならないだけではありません。世界が自分の内側で何に変わったの
かも、理解しなければなりません。時代が差し出す可能性のすべてを拒めば人生は狭まり、すべての可
能性に身を委ねれば、人間は自分の中心から遠ざかっていくからです。
求められているのは、逃避ではありません。
時間と、注意と、思考と、労働と、恐れと、不確かさと、他者と、そして自分自身の内なる声と結ぶ、よ
り意識的な新しい関係のかたちです。
この本は、まさにここから始まります。人類の長い歩みを語り直すためではなく、その歩みが今日の人間
の内側に残した足跡を目に見えるものにするためです。完璧さを約束するためでも、人生をいくつかの
簡単な一歩に押し込めるためでもなく、自分の人生がどんな力によってかたちづくられてきたのかを見て、
自分に属する方向をもう一度築けるようになるためです。
既製の人間の型は、ありません。
人生のただ一つの尺度も、ありません。
けれども、人間が自分をもう一度知ること、内側の混乱をより正直に見つめること、そして生きている時
代の声たちの中から自分の方向を見分けることは、可能です。おそらく、人間の新しい在り方における
最初の本当の自由も、ここ――すべてを制御することではなく、何を築くことができ、何にどう応えるのか
が見えること――から始まるのでしょう。
扉は、ここで開きます。
簡単な答えが尽きる場所で。
テーマ1
第 1テーマ 時代の騒音――自分のリズムを築く
「この本は、速さの時代に自分のリズムを見つけ、消えない足跡を残すための旅です。」
第 1テーマ/第 1章 今日の人間の時代
私たちは、何ひとつ静止したままではいられない時代に生きています。すべてが更新され、変わり、姿を
変え、誰もが走っています。けれども、この速さの中には、速くなればなるほど私たちは自分自身に遅れ
ていくという奇妙な矛盾があります。
朝、まだ目を開ける前から、メッセージ、通知、やり残した仕事、果たすべき責任など、何十もの重荷
が頭の中に浮かび上がります。一日が始まる前に、もう消耗しきった気分になります。現代人を二つの
言葉で言い表すなら、それはおそらく、疲れと混乱でしょう。
この疲れは、多くの場合、体のものではありません。心の、意味の、方向感覚の疲れです。思考は折り
重なり、互いに競い合いますが、どれひとつとして深まることができません。
騒音はかつて、市場にあり、通りにあり、都市にありました。いまは私たちの内側で響いています。
私たちは、止まることなく動き続ける機械に似ています。止まりたいのに、止まると罪悪感を覚えます。
走らなければ押しつぶされる、取り残されると思い込んでいます。しかし、まず「私たちはどこへ追いつこう
としているのでしょうか」と、素朴に問う必要があります。
ある大工は、朝の工房で槌の音とともに一日を始めます。ある食料品店の主人は、シャッターを上げな
がら卸業者に払う金のことを考えています。ある学生は、席につくとき、未来の不確かさと格闘していま
す。ある経営者は、決断を下しながら、その決断の重みの下で自分自身の自由を問い直しています。
人生も役割も異なります。しかし、速さへの隷属という渦は同じです。
次の診断は、おそらく間違っていないでしょう。知識は増え、知恵は減りました。選択肢は増え、方向は
失われました。声は増え、意味は黙りました。
この本は、まさにそのため――既製の処方箋を渡すためではなく、方向を見つけるときに使える羅針盤
を差し出すため――に生まれました。時代の速さの競争では、いつでも自分より速い誰かがいるからで
す。初めから勝つことのできない競争の中で、私たちはどうすれば自分の場所をつくれるのでしょうか。そ
の道は、個人的な哲学と、意識的な人生観を築くことにあります。
解決は、誰よりも速くなることではありません。自分のリズムを見つけることです。時間と群衆と時代の中
で、自分を失わずに在ることです。『意識の建築家』は、この問いを軸に、自己成長をもう一度考え直
すよう呼びかけます。
最初の実践――1 時間の静寂
今日から、毎日自分のために静寂の時間を確保し、まずは 10〜15分から始めましょう。状況が許す
範囲で、徐々に 1時間まで延ばしていくことができます。この時間に、何かを生み出したり、学んだり、
何かを片づけたりする必要はありません。ただ立ち止まり、黙りましょう。
あまりに単純に聞こえるかもしれません。けれども、速さが神聖化された時代において、もっとも急進的
な行為のひとつは、何もしないための余白を意識してつくることなのです。
この本は、まず静寂を自分の生活の中でどう実現できるかを示します。続いて、群衆の中で方向を守
り、自分の疲れを知り、自分の人生観を築く手助けをします。目的は、完璧な人生を約束することで
はありません。何を、なぜ、どのように望んでいるのかをより明確に見られる、思考の場を開くことです。
今日のもっとも大きな危険のひとつは、群衆の中で自分の声を失うことです。この旅は、失われたその
声をもう一度聞くための旅になるでしょう。
第 1テーマ/第 2章 歯車の歯にはさまれた人間
労働者メフメト
夜明けがようやく訪れようとしていました。町の外れの界隈にある一軒の家の扉が、きしみながら開きま
した。メフメトは錆びた道具かばんを手に取り、靴の底についた泥を気にもせず、歩みを速めました。通
勤バスは 10分以内に来るはずでした。遅れれば新たな警告を受ける可能性があり、もしかすると仕
事を失うおそれもありました。日が昇る前に始まるあわただしさは、彼の人生の変わらないリズムでした。
家は小さいものでした。けれども、その壁に宿る静けさは大きかったのです。子どもたちの学校のノートが
机の上に置かれたまま、妻は台所で黙って皿を洗っていました。誰も大きな声では話しませんでした。こ
の家のもっとも重い荷は、口にされる言葉ではなく、言葉にできない明日への不安だったからです。
メフメトの背中のかばんもまた、道具だけを運んでいたわけではありません。未払いの請求書、終わらな
い借金、そして雇い主の厳しい視線の重みを運んでいました。
彼は通勤バスに間に合い、狭い座席に腰を下ろしました。隣の仲間の顔に、同じ疲れを見ました。二
人は顔を見合わせて微笑みました。けれどもその微笑みさえ、借金の影の中で鈍く沈んでいました。
「働いているのは私なのか、それとも仕組みが私を働かせているのか」という、ただひとつの問いが頭の中
をよぎりました。遠くで工場のサイレンが鳴るなか、問いは答えのないまま残りました。
「腹の減った熊は踊らない」と、トルコの諺は言います。〔訳注:食べていけなければ何もできない、の
意〕メフメトは日々の糧を稼がなければなりませんでした。けれども心の奥では、「この芝居は誰の舞台
で、誰の規則で演じられているのか。息をするために走り続けている人間は、いつになったら生き始める
のか」と、別のことを問い直していました。
困窮、病、そして無力さへの恐れが、見えない影のように彼のあとをついてきていました。しかし人間は、
ただ生き延びるためだけではなく、生きるためにこの世に来たはずなのです。
学生アイシェ
街の反対側では、アイシェが小さな部屋の机に向かっていました。目の前には、色ペンで印をつけたノー
ト、教科書、問題集が並んでいました。時刻は朝の六時でした。学校に行く前にいくつかの単元を復
習しようと、早起きしたのです。母が台所でチャイ〔紅茶〕を用意するあいだ、アイシェはその静かな足音
の中に、家族全員の希望を聞き取っていました。
ノートに顔を近づけるほど、行と行が混ざり合いました。「失敗したらどうしよう」という問いが、頭の中でぐ
るぐると回っていました。試験は彼女にとって、ただの一枚の紙ではありませんでした。家族の労苦、周
囲の期待、そして将来自分が誰になるかについて、すでに下された判決のようなものでした。
ソーシャルメディアで友人たちの磨き上げられた成功を見るたびに、「自分は不十分だ」という感覚が強
くなっていきました。あの画像の裏で、他の人たちも似た不安を抱えていることを、彼女は知りませんでし
た。
休み時間には、サンドイッチの包みも開けずに、ノートに新しいメモを書きました。先生と目が合ったとき
でさえ、頭の中では「失敗したら、みんなの期待を裏切ってしまう。」という同じ一文が響いていました。
他人の道は、たやすく見えるものです。誰もが自分の荷を、見えないところで運んでいます。
経営者セリム
同じ朝、街の中心にそびえる高層ビルの最上階で、セリム氏は鏡を見ていました。ネクタイを直し、予
定表に目をやりました。この日、十一の会議に出席し、三つの重要な署名をし、何百人もの従業員の
将来を左右する決断を下すことになっていました。机は洗練され、部屋は広々としていました。けれども、
胸は締めつけられていました。
株主、市場、証券取引所などからの電話は、鳴りやみませんでした。誰もが彼の決断を待っていました。
「調子はどうですか」と尋ねる人は、誰もいませんでした。
孤独は、人で埋まった会議室の中でさえ、彼のあとをついてきました。彼の鎖は金でできていました。け
れども、金でできていようとも、鎖は鎖でした。
彼は窓に近づき、下の人混みを眺めました。彼らのあわただしさと自分のあわただしさの間に、本当のと
ころ何の違いがあったのでしょうか。労働者の恐れ、学生の不安、経営者の懸念は、「もし失ったら?」
という同じ問いに行き着いていました。
三つの道、ひとつの疲れ
一日の同じ時刻に、三つの異なる人生が、街の三つの隅で続いていました。一人は借金の重荷を、
一人は試験の重荷を、一人は市場の重圧を背負っていました。けれども三人に共通していたのは、終
わらない圧力、減らない恐れ、そして見えない歯車の中に挟まれているという感覚でした。
三人は互いを知りませんでした。それでも、同じ地下鉄の車両で出会ったなら、目の中の影から互いを
理解できたでしょう。歯車の音は階級を区別しません。誰にも「もっと速く、もっと多く、もっとたくさん。」と
いう同じ命令を下します。
三つの物語、ひとつの問い
この三つの物語が語っているのは、メフメトの生計への不安や、アイシェの試験への不安や、セリムの決
断の負荷だけではありません。三つとも、現代人に「私の価値を決めるのは何でしょうか――している仕
事でしょうか、合格した試験でしょうか、それとも担っている肩書きでしょうか」という同じ問いを向けていま
す。
不安には、ひとつの可能性を確定した破局のように見せ始め、注意もその確定性のまわりで狭まってい
くという、それ特有のからくりがあります。アイシェの頭の中の「失敗したらどうしよう」という問いは、試験を
ひとつの評価であることから引き離し、人生全体への判決へと変えてしまいます。メフメトは仕事を失う
可能性を、セリムは制御を失う可能性を、同じ確定性をもって生きています。こうして恐れは、人間に
備えをさせる代わりに、その人を自分のまわりで回し続ける歯車へと変わっていきます。
この圧力は、個人の内側だけから生まれるのではありません。家族、学校、職場、市場が、どの役割に
おいてどれだけ価値があるとみなされるかを、人間に絶えず思い出させています。アイシェの机には家族
の労苦が、メフメトのかばんには一家の生計が、セリムの予定表には何百人もの期待が載っています。
「隣人の鶏は、隣人には鵞鳥に見える」というトルコの諺は、比較がどのように働くかをよく語っています。
〔訳注:日本語の「隣の芝生は青い」に相当〕他人の成功が磨き上げられて見えるとき、その人が運ん
でいる見えない荷は、多くの場合、画面の枠に入ってきません。
役割は必要である。だが、アイデンティティのすべてではない
ここから、私たちは「成功とは何でしょうか」という、もっと古い問いにたどり着きます。高い点数や安定し
た仕事、影響力のある肩書きでしょうか。それとも、人間が自分の価値観と調和した人生を築けること
でしょうか。
ソクラテスに帰されるあの有名な警告――問い直されない人生は生きるに値しない――は、人生その
ものだけでなく、私たちの成功の尺度にも当てはまります。尺度を問い直さずに、成功を問い直すことは
できません。
メフメト、アイシェ、セリムの物語は、同じ地点に行き着きます。役割は必要です。けれども、アイデンティ
ティのすべてではありません。人間が、生産し、成功し、管理しなければならないひとつの機能としてだけ
見られるとき、その人は自分の声から遠ざかっていきます。
労働者は生産の圧力に、学生は成功の圧力に、経営者は業績の圧力に締めつけられます。共通し
ているのは、人間の価値がもっぱら外側から測られているという点です。内側ではアイデンティティと役割
が衝突し、外側では組織が同調する者に報い、そしてもっとも深いところで人間は、自分の価値観で
はなく、周囲から期待される人生を生き始めます。
解放は、すべての役割を捨てることから始まるのではありません。どの役割が、いつ道具であることをやめ、
私たちのアイデンティティに取って代わったのかに気づくことから始まります。
役割日誌
歯車から抜け出すのに、いつも大きな断絶が必要なわけではありません。ときには最初の一歩は、一
日のあいだに担っている役割に気づくことです。
・朝、その日に担う 3 つの役割――仕事での役割、家での役割、一人になったときの自分の在り方―
―を書きましょう。
・日中、それぞれの役割が自分に呼び起こす感情を、1 文で記録しましょう。
・夜、もっとも支配的だった役割を選び、「この役割は今日、自分を養ったのか、それとも消耗させたの
か」と問いましょう。
・週の終わりに、自分をもっとも消耗させた役割に対して境界線を定め、時間を減らしたり、期待につい
て話し合い直したり、責任を分け合ったりしましょう。
この日誌は、役割は変わりうるものであり、人間はどんな役割にも丸ごと収まりはしないことを思い出さ
せてくれます。自由は役割を無視することにあるのではなく、役割がいつ自分を支配し始めたかを見るこ
とにあります。
「役割を担いなさい。けれども、自分の核をそれに委ねてはならない。」



読者コメント
文章が終わっても、
思考は続く。
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